コロナ自粛のおかげさま?か、日本でもオンラインミーティング、ワークショップ、セミナーなどなどが一気に普及して普通になってきました。

そうなると、みんなが「今回はオランダからも参加してくれています」とかって言ってくれるんですが、オンラインなのでどこに居ても変わりませんし、自分としては今までも普通にオンラインミィーティングをしていたので、「注目してくれてありがとうございます」と思いつつ、「はい、これでオランダからでもオンラインできるの分かったでしょう?」っていう、当たり前の感覚ですw

もちろん、時差はあるんですけどね。

で、こうなってきて結構、日本とのやりとりをさせてもらうことになって、気づいたことがあります。

それは、「英語ができる日本人でも、残念ながら中身のない人が多い」という状態です。この書き方、ちょっと語弊がありますので、もう少し詳しく書いてみます。

実はこれ「日本の教育」と大括りにするのも違う気もしますが、(話を分かりやすくするために、あえてこういう言い方をしてみます。)この「日本の教育」の問題なのでは?と思っています。

それは、簡単に言うとスキルとしての英語教育ばかりをしているだけなのでは?ということ。こちらで仕事や生活をする上で、確かに英語は大事なスキルです。ただし、それはただのスキルでもあります。もっと大事なのは、中身。つまり「あなたはどう思うのか?」「どう考えるのか?」「あなたの意見は何か?」ということ。これが根本的に欠けている人が多いなあと感じます。

実は、(なんてもったいぶる必要は全くないんですがw)自分は英語ができません。オランダに移住する前からずっと英語は勉強していますし、今もしています。それでもなかなか上達しません。

なので、仕事だと英語ができない分、誰よりも準備をするし、いろいろな知識や関連事項を調べて、さらに自分で考える。こうした作業をずっとやっています。英語のスキル不足を補うために必要だからです。でも、これをずっと続けていると、だいたいのことには対応できるようになるし、英語での話ももちろん理解できるようになります。

その結果、今ではだいたいのところで、「(英語が下手な)カズが何か言うから聞こうぜ」「(あいつの英語は下手だから)ちゃんと聞かないとダメだ」という状態になっています。確か、同じことを濱口さんというビジネスデザイナーの方が言っていました。

それに対して、最近思うのは日本人で非常に流暢に英語を話されるのに、全く自分の意見がない人、言えない人、たまに言うとスキルだけ完璧なので、「すごいちゃんとしたこと言っている」ように感じるが、実は何にも言っていない人、はたまた上司の顔色ばかりを伺って発言しない人などがすごく多く感じます。せっかくの英語のスキルがもったいなあと思います。中には、いつの間にか、ただの通訳になっちゃう人もいます。英語ができる人に限って、周りからもそういう役割を(自然と)求められたりして、かわいそうではありますが。。。

特に今は、幼児教育として英語がすごく重視されていたりしますよね。確かに自分も、子どもの時から英語やっておきたかったと思ったりもするし、大事ではあるんですが、やっぱり英語はただのスキル(されどスキルではありますが)なので、英語を使って「何」を言うか?っていうことを、もっと子どものころから突き詰めていく教育が必要だろうな、と感じます。

うちが教育を理由に、移住したのはこういうことがあります。

結局のところ「どう思う?」「あなたの意見をきかせてくれる」「どう考える?」「なんでそう思うの?」っていうのが教育では大事かな、と。一度、びっくりしたのは、オランダ在住の「オランダ語」も「英語」も完璧な日本人男性が、通訳としても全く役に立たずで、いちいちいろいろと説明しないと、全然話が通じずに困ったことがありました。つまり、彼にかけていのたは「日本語」だったのですが。。。

たぶん、海外にいる日本人はみんな、同じように感じていると思うんだけど…。コロナによって、こんなこと考えました。ぜひ、みなさんの考えを教えてください。

参考

日本の教育に未来はあるのか

 

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