日本はレジリエンスを持つことができるのか? ヨーロッパは?そしてアメリカは?
2020年のコロナ禍において、あるいはコロナ後の世界に向けて、ヨーロッパで最も言われていることは「レジリエンス」を社会として、どう設計できるのか?ということであり、いかにグリーン・リカバリーができるのか?ということ。
自分が日本の言論を全部知っている訳ではないので、ちょっと勉強不足かもしれませんが、日本では、こうしたことはあまり話されていない気がします。
例えば、2020/5/27 の内田樹さんのブログ(「パンデミックをめぐるインタビュー」)などではこのレジリエンスに触れています。しかし、どちらかというと内田さんのような知識人のみが、この辺に触れており、というか「こういうことが話せるのはさすが!」という文脈で取り上げられている感じがします。
一方でオランダ(EU)では、すでに多くのコミュニティが、この点に触れています。
確か、オランダでロックダウンすると発表された、翌週だったと思いますが、一緒に仕事しているあるアクセラレーターと、急に連絡が取れなくなりました。その時、彼らはわずか数日で、こんなサイトを作っていたのです。
Resilience, Right Now Media Kit
みんなの持っているクリエイティビティやネットワークを使って、このコロナ禍を乗り切るためのアイディアソンを行う、そのためにみんな協力しようということを呼びかけているサイトでした。
そしてここには、(普段から付き合いがある)大学や企業など、多くの組織が参加しています。
これを政府の自宅待機要請が出た、わずか数日後にやっているのです。
また付き合いのあるFROLIC STUDIOというDesign & Engineeringを手掛ける、非常に優秀なプロダクションがあるのですが、彼らは2週間ほどで、協力してくれるボランティアメンバーをオープンに集い、その集ったメンバーで、マスクの消毒装置を作りました。
その協力に申し出た人は、IKEAの人、医療関係者、デザイナーなど多岐にわたり、そうした人々がオープンディスカションを行い、「何を作るのか?」 「どう作るのか?」をアッと言う間に決めて、実際に作って、さらにそれをオープンにして、作り方を解説までしています。
レジリエンス とは何か?
実は先のWorldstartupからは、「こんなサイトができたよ」という連絡をもらったのですが、恥ずかしながら正直言って全くピンときませんでした。一体、何をやっているのだろうか?と思ったものです。
自分はこの時には「レジリエンス 」が全くわかっていなかったのです。
おそらく数年前に、日本でも一部でこの「レジリエンス 」ということが、取り上げられたと記憶しているのですが、それは個人の働き方文脈だったと思います。
しかし、今回ヨーロッパで盛んに言われているのは、社会やシステムとしての「レジリエンス 」です。日本語に訳すと、「回復力」と訳されるかと思うのですが、その背景には「余裕」とか、「反発力」「しなやかさ」「遊び」みたいなニュアンスが含まれていると考えると、この言葉の意味がよりしっくりくる感じがします。
つまり今、このコロナ後に関してヨーロッパで話されていることとしては、「社会システムとして、平等で、透明性を持った、余裕のある社会をいかに作っていくのか?」ということです。もし、今後再び、人類に不測の自体が起こっても、耐えられる、あるいは耐性のある、余裕のある社会を作っていかなければならない。そのために我々は、何ができるだろうか?ということが話されています。
そこには、ジャストイン・システムとか、KPIといった指標などにも現れているように過度に効率が求められてきた社会への反省があります。こうしたことを過度に追い求めてしまった結果、今回は、そのしわ寄せがモロに社会的な弱者に出てしまった、という反省があるのです。
例えば効率性を重視して過度に医療費を削減してしまったり、病床を削減していたりした結果、今回は医療崩壊を起こしてしまった。また、社会的な弱者が医療や保険というセーフティーネットから漏れてしまったのです。
コロナにおける死亡者が比較的少ないドイツは、OECDにICUの削減を求められながらも、それに応じなかったために、病床数に余裕がありました。その結果、オランダ人がそちらに収容されて、助かったという事実があります。
一方で、2015年から2019年まで努めた財務大臣時代に医療費を大幅削減したベルギー初の女性首相ソフィー・ウィリアムは、現在、医療関係者や国民から強烈な批判を受けています。首相でありながら、レジリエンスを作ることができていないからです。
コロナ後の世界はサステイナブルな社会へ
緊急事態宣言も解除されて、コロナ後の世界については現在進行形で、いろいろなところで進んでいます。レジリエンスのある社会は、サステイナブルな社会であると置くこともできそうです。環境にも、人にも「余裕」のある社会と捉えるからです。
オランダではこうした捉え方が強くなりつつあり、コロナ後の社会にはサステイナブルな社会がより推進されるだろうと言われています。
一方で。米国ではコロナと直接関係しているのか?してないのか?分からないところもありますが、警官の黒人への暴行死で物凄い抗議活動が起こり、それに対して大統領が火に油を注ぐtwitterをしたり、(そして発言がtwitterから禁止されたり)WHOへの資金停止や関係の断絶、そしてそれが香港をはさみ、さらなる中国との緊張感を高めていたり、「レジリエンス 」とは正反対の方向に行っている感じがします。(ちなみに、オランダではこうしたことが、子ども向けニュースで流れています)
みなさんは、コロナ後の世界はどうなると、あるいはどうしようと思いますか? ぜひ考えを聞かせてください。
同じようなことをFINDERSの連載「オランダ発スロージャーナリズム」でも書いています。よろしければご参考ください。
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